再登校事例

男子中学生MM君の再登校レポート Vol.4

第三者に入ってもらう

ここから私とMM君、お母さんのカウンセリングが始まります。

中学校や小学校での記憶は割とすんなり行きましたが、勉強に関すること、塾や私が関わっていることに関する記憶は、うまくいきませんでした。
 
当事者でもあるわたしに遠慮する気持ちがあったのか、質問者が私だと、「ない」ということになってしまい、「じゃあ、終わったね」ということにしてしまっても、実はまだまだ残っている、という状況でした。
 
ねらいをきちんと定めることができればうまく処理できるのでしょうが、まずそこを探り出すことの難しさにぶち当たり、第三者に入っていただく必要がありました。そういった意味で、セラピーを受けたかいもありましたし、大きく前進したと思います。
 
私と向かい合っていても、私からこういうことを言われた、気持ちを聞いてもらえなかった、というようなことは言い出しにくかったようですし、わたしにとっても今更ながら、そうだったのかと思うようなことが多々ありました。
 
やはり何よりも、子供が生きていく気力を育てていくことが一番大切なのであって、どうしようもなく打ちのめされてしまっている状態で、学校に行けはしないだろうと思うようになりました。
 
幸いなことに、担任の先生も当初は私のように「なんで来られないのか?」といったとまどい、はがゆさを感じていたようですが、「学校側で何かできることはありませんか?」と言ってくださるようになり、たまに1時間だけでも登校できると「よかったね」と喜んでくれるようになりました。
 
記憶のほうは、受験勉強まではなんとか終了しましたが、サッカー少年団での夏の合宿での記憶で手詰まりとなってしまいました。

解説

出だしは順調。
学校のトラウマではなく、親による勉強の強制の記憶から取り除いたのは初めてです。

記憶も割合さくさく除去が進み、ある時点からMM君は、ぽつぽつと再登校し出します、

しかし突然現れた「スポ少のサッカーの、合宿での屈辱的な記憶」によって、それが阻まれてしまいます。